すさみ線香水車について

すさみ線香水車(「井澗家住宅線香水車小屋」)について


water wheel

太間川・熊野古道大辺路沿いに位置する、線香材料の杉葉等を製粉する水車小屋。平屋建切妻造鉄板葺。中央に石積水路を通して大型水車を設置し、左右二室の作業場に横杵と縦杵を併用し、計一六挺の石臼を据える。紀伊半島の線香製造業を伝える貴重な水車小屋。
文化遺産オンラインより)

すさみ町誌によると、江戸時代後期の元治元年(1986年)に建てられたとの伝承がありますが、建築年月を描いた棟札などの物証がありません。そのため、登録有形文化財のデータとしては、少なくとも大正時代の建築とされています。しかし、小屋の所々からは和釘も発見されており、これは洋釘が普及する明治5年以前の遺構が残されていることを示唆しています。

オーナーの高祖父である井澗和三郎が水車を買い受け、線香の原料製粉の事業を継承したのが1909年頃です。それからは線香の原料製造だけでなく、原料から線香製造までの一貫操業を行うようになりました。線香は主に関東方面に出荷されました。線香の需要が高まった背景には、戦争が影響していたと思われます。戦死者が増え、民間で線香の需要が増えたことが一因とされています。その後、曽祖父の良太郎が家業を継ぎましたが、電力の普及や機械化などにより、徐々に水車を利用した産業は衰退。1970年代にすさみ線香水車はその動きを止め、以降50年間、水車小屋は廃墟となっていました。

2019年、大辺路刈り開き隊や和歌山大学の調査隊が現地を訪れ、今も水車や木製機械の遺構が残っていることが判明。良太郎のひ孫が中心となって、クラウドファンディングなどを活用して修復に取り掛かりました。また、水車小屋の保存と活用に向けて、線香水車産業を調査。多くの関係者のみなさまのご協力のもと、2024年12月に国の登録有形文化財に登録されました。  現在、「井澗家住宅線香水車小屋」は、一般公開に向けて修復を進めています。